阪本奨悟くんについて。-俳優~フリー時代-
◆阪本奨悟くん
1993年6月13日生まれ。アミューズ所属。
桜田通くんと並行して追いかけていた俳優さんです。
今でも推し。
私が奨悟くんを知ったきっかけはテニミュでした。
3代目の映像ばかりをずっと見ていましたが、
テニミュは公演によって代が変わると聞き4代目の映像も見てみました。
そしたらまあ、阪本リョーマもめちゃくちゃ素敵だったんですよね笑
今でも一番好きなリョーマくんです。
生で観たいなー!と思ったときにはもうドリライ6でチケットはどうにもなりませんでした・・・。
ドリライ6のね、オープニングで
帽子触って口角上げてにやって笑うの
めちゃくちゃリョーマくんなので見たことない方ぜひ見てください。
で!私が奨悟くんを初めて観たのは、ドリライの翌月にあったミュージカル「黒執事」でした。生執事の初演。
黒執事は原作を読んでいたし、それが舞台化してあのリョーマのしょごたんが出るなんて行くしかない!って感じで、私にテニミュDVDを貸した友達と一緒にサンシャイン劇場へ行きました。
実は、この頃まだテニミュを生で観たことがなかったので、私の若俳オタク人生の初観劇は生執事でした。
終わった後、友達とヤバイヤバい!と興奮していましたね。
奨悟くんの好きなところは、
ビジュアル、歌、演技、八重歯、笑顔・・・・主にその辺でした。
歌がね、めちゃくちゃ上手なんですよ。
高音から低音まででる。よく伸びる。ぶれない。
実際に生で聞いて感動しました。
2010年4月にアミューズの舞「BLACK PEARL」という舞台があり、【当日券に並ぶ】という行動を人生で初めてしました。
先行ではチケット取れなかったか取り方分かってなかった気が・・・・
あと、初めて俳優さんの個人イベントに参加したのも奨悟くんです。
17歳の誕生日イベント。
その前の2月に歌のイベントもやってたのですが、取れず。
昔は全然行きたいものに行けなかったな〜
誕生日イベントは、席が後ろの方でしたが、登場が後ろの扉からでめっちゃぴょんぴょん飛び跳ねてて楽しそうでめっちゃ可愛かったです。
あと、福山雅治さんにお誕生日の記念でギターも贈与されていました。今でも使ってるってね。
ここで「DEAR」という、奨悟くん作詞作曲2曲目が初披露。
それでですね、このイベントの最後がハイタッチでのお見送りだったんですよ・・・・アミュイベよくお見送りあったよね。
これが私の人生初の接触でした。
めちゃくちゃ緊張で、うわー本物だ生きてるうわーってなりながら
「お誕生日おめでとうございます」「ありがとうございます」というやり取りを辛うじてした記憶。
奨悟くんは私の初めて尽くしです。
誕生日イベントなので、お祝いの意思を伝えたい!と人生初めてのファンレターも書きました。
でも何とか書き上げたものの、いざとなると恥ずかしくなっちゃって預けられなかったんですよね。なつかしい
そんな感じで、どーりと並行して奨悟くんも追いかけていました。
ドラマもたくさん決まり、大河ドラマにまで出てすごいなーと。
当時、NHKのスタジオまで撮影を見に通っているフォロワーさんとかいらっしゃって羨ましかったです。
私は高校生だったので平日日中の撮影とかとても行けず・・・
このまま順調に売れていくんだろうなあと思った矢先、ブログの更新も止まり新たなお仕事情報もぱったりと止まりました。
たしか、どうして今年のハンサムライブには出ないんだろう?と思っていました。
奨悟くんが最後に公の場へ出たのは、2度目のTHE GAMEのゲスト出演だったでしょうか。
音沙汰がなくなってしまい、どうしたものかとはらはらしていると、2011年の年末にアミュモバの阪本奨悟ページで契約終了のお知らせが出てきたんですよね。
結局、本人からは何の言葉も聞けず居なくなってしまいました。
あんなに素敵な子にもう会えないのか。
絶対一般人の中に埋もれるような子じゃないのに。
悶々としていましたが、当時テニミュ2ndシーズンが始まるので私は元気にオタク生活を続けていました。
ちょこちょこ奨悟くんの様々な噂を見聞きしていましたが、もう戻ってこないんだろうなーと思っていました。
しかし!なんととあるアーティストさん主催の対バンに【阪本奨悟】の名前が!
2012年12月のことです。
Twitterで回ってきたんですよね。やっててよかったTwitter。
同姓同名の別人じゃないのだろうか?誤植じゃないのだろうか?などにわかに信じられませんでした。
めちゃくちゃ行きたかったのですが、会場は大阪のライブハウスで当時まだ遠征とかしたことのなかった私は駆けつけられませんでした。
しかし、フォロワーさん何人かが足を運び、本当にしょごたんだったと情報を得ました。
そこから、再び奨悟くんの名前を目にするようになりました。
対バンに出るようになったんですよね。
俳優時代はアミューズの寮に入り東京へ居ましたが、地元に戻った彼の活動拠点は大阪でした。
大阪行けないよー!!!とアルバイト始めたての私は思っていましたね。
その対バンの中で、自主制作CDを物販で売っていたので、行っていたフォロワーさんに代行してもらったりしていました。
★1STCD「THIS IS ME」
このアルバムに、俳優時代に作った「Something Brilliant Now」も収録されていまして。
あー過去も忘れてないんだなーってなりましたね。
私が再び奨悟くんを見たのは、最初のワンマンライブです。2013年6月。
これも開催は大阪だったのですが、ワンマンとあっては行くしかない!と決め初めての遠征且つ人生初めての大阪でした。
小さなライブハウスにキャパ以上の人数でぎゅうぎゅうでした。
そこに居たのは確かに阪本奨悟くんで、感慨深かったです。
相変わら可愛くて美しくて輝いていました。
大阪に住みたいーーーーーーって思っていましたね笑
翌年にはワンマンを東京でやってくれたり、曲もどんどん明るいものになっていって嬉しかったです。
物販があると、奨悟くんが自分の写真やCDを手売りしていたんですけど、推しに直接お金を渡すという行為に背徳感を感じていました…笑
手紙も直接渡せたし握手もしてくれて。
物販は何回経験しても緊張で震えていましたね。
こんなに綺麗な人と話して触れていいのかっていう。
フリーの頃は、チケットの支払いを彼名義の銀行口座にいれたり、
チケットが阪本奨悟さんから届いたりとめちゃくちゃ貴重な経験をしました。
チケット代より多く振り込むべきか・・・とか真面目に考えていました。理性が勝った。
ワンマンのキャパがどんどん広がっていったり、
東京でも対バンに参加したり、
東名阪ツアーを成功させたり、
どこかのお偉いさんっぽいおじさんもライブにきたり、
そんな変化が大きくなっていって、またどこか事務所に所属するのかなとぼんやり思っていました。
そしてまさかのまさか、アミューズに復帰します!とハンサムライブにサプライズ登場しサプライズ発表。
この発表からはまた記事を分けてお話したいと思います。